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中学時代

古い話をやり始めたら、年をとった証だと世間では言うらしい。
仕事をやっていると若い頃の発見や経験が意外と役に立つ。
もっと言えば、それだけで今日生きているのだ。・・・残念なことに。
私の両親は子供の将来等の事はあまり考えない人だった。どちらも6人兄弟の6番目みたいで、自分達の現在でいっぱいいっぱいだった。

私が小学校6年の秋のことだった。
親父が足に大怪我をした。長期入院をして翌4月、自分の郷里、宮城県の鎌先温泉へ私を連れて、親子3人で湯治に行くと言い出した。
中学校へ入ったばかりで担任は反対したのだが
「親が連れて行くのに何が悪い」
の一点張りで、やむなくOKがでた。私も別に嫌でもなかった。
そういう家族であった。

私が高校へ進学する事も無関心だった。
私は中学の2学年に進学するとき何も考える事も無く、英語がなくて職業があった就職コースに手を上げていた。
進学コースの者達は毎日居残り学習をやっていたが、私はその者達のことを「何か悪いことでも仕出かして居残りさせられているのだ」
と思い込んでいた。そのまま3年生となった。
私は中学校を卒業すると、横浜の鶴見へ丁稚奉公に行く事を両親にも言わず、自分で決めていた。とにかく東京の近くへ出て行くことを考えるだけで胸が高鳴った。進学組も就職組も全くきにする事なく、ひたすら心は横浜の街をさまよっていた。かといって行く先が具体的に決まっていたわけではない。ただひたすら卒業を待っているだけであった。
 

カレンダー

島田紳助のコマーシャルでおなじみだった 「世界のボイラーと水の浄化」で東証一部上場会、三浦工業(株)のコマーシャルが紳助と共にテレビから消えた。今度はどんなコマーシャルになるのだろうか?楽しみだ。
この会社が持つ美術館、ミウラートヴィレッジで私は昨年2010年個展をやった。その作品の一部とこの会社の創業者・三浦保氏とのコラボレーションで2012年版カレンダーが出来る。
欲しい方はご一報ください。但し数に限りがありますので、届かなかった方はすみません。

同窓会

小中学校の同級会も毎年やり始めて13回目。
今年ももうすぐ台湾でやります。
男性4名女性3名。毎年出席する者はだいたい決まっている。
いつもホテル集合で始まる。
ホテルの玄関を入った途端、誰かが「来年はどこでやるか?」と言って来年の同級会が反対意見を言う者も一人もなく速決定する。
台湾のホテルで来年はどこになるか今から楽しみである。

台湾には、東日本大震災に対する支援の感謝の言葉をTシャツに描いて着ていこうと思っている。

あかぎれ

一週間前は、夜テレビを見る時間帯はクーラーを入れていた。
昨晩からヒーターを入れて見ている。
私には夏と冬しかないのか!
今日は足が冷える。ロクロを挽く指先にあかぎれが出来るまであとわずか。
このあかぎれの痛いこと。あかぎれにセメダインのような薬をつめる。これがしみて痛いこと。
この痛みが消えるころに又クーラーが入る。