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中学時代

古い話をやり始めたら、年をとった証だと世間では言うらしい。
仕事をやっていると若い頃の発見や経験が意外と役に立つ。
もっと言えば、それだけで今日生きているのだ。・・・残念なことに。
私の両親は子供の将来等の事はあまり考えない人だった。どちらも6人兄弟の6番目みたいで、自分達の現在でいっぱいいっぱいだった。

私が小学校6年の秋のことだった。
親父が足に大怪我をした。長期入院をして翌4月、自分の郷里、宮城県の鎌先温泉へ私を連れて、親子3人で湯治に行くと言い出した。
中学校へ入ったばかりで担任は反対したのだが
「親が連れて行くのに何が悪い」
の一点張りで、やむなくOKがでた。私も別に嫌でもなかった。
そういう家族であった。

私が高校へ進学する事も無関心だった。
私は中学の2学年に進学するとき何も考える事も無く、英語がなくて職業があった就職コースに手を上げていた。
進学コースの者達は毎日居残り学習をやっていたが、私はその者達のことを「何か悪いことでも仕出かして居残りさせられているのだ」
と思い込んでいた。そのまま3年生となった。
私は中学校を卒業すると、横浜の鶴見へ丁稚奉公に行く事を両親にも言わず、自分で決めていた。とにかく東京の近くへ出て行くことを考えるだけで胸が高鳴った。進学組も就職組も全くきにする事なく、ひたすら心は横浜の街をさまよっていた。かといって行く先が具体的に決まっていたわけではない。ただひたすら卒業を待っているだけであった。