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青春時代 7

2008年、ニューヨークのコロンビア大学で、メトロポリタン美術館の学芸員の司会による講演会、「備前焼、今昔」 をやった。

終わった時は、真っ黒な星の無い夜だった。

大学を出て暫く歩いて振り返った。

闇に浮かび上がったドデカイそのドーム見て、私は「やった。やったのだ。」と自分に言い聞かせた。

 

あの志村前野町の二階への階段を、空腹と疲れで登れなかったあの時と、どうしてもつながらない。

その頃の私は、絵を描くと言うのではなく、やたら絵の具を盛り上げる事に夢中になっていた。

絵の具が足りない分、トイレットペーパーをデパートのトイレから持ち帰り、夜、絵の具と板の上で混ぜていた。

その物音で度々朝飯のとき文句がでた。

まるで左官屋が壁土をねるような状態だった。

その時私が絵を描いていることは、下宿の主人も住人も誰も知らなかった。

ただ、夜中になるとトントン音がするだけだった。

その時の下宿の奥さんの顔はしっかり覚えている。

色白で眉の濃い、目鼻立ちのすっきりした人で、口はおちょぼ口で少々前歯が前に出ていた。一人娘も色白でよく似ていた。東京弁で早口で、いつも怒られているようだった。

壁にもたせ掛けて描いた20号のキャンパス(72.2 x 60.6cm)の木枠が絵の具の重さでついに折れた。

街で拾った板切れを釘で打ち付け、何とかもたせた。

その絵は、その場から重くてついに動かすことが出来なくなっていた。

 

定義:芸術とは、いかに無駄をまじめにやるか?

その言葉通りにやっていた。