青春時代 8
何年何月号だったか忘れたが、芸術新潮の特集 「画家とモデル」
の文章の中で、池田満寿夫が、「私は裸婦は描くが、モデルを使わない。なぜならすぐやりたくなるから。」 と書いてあった。
私もこの事は、今もって同感である。
研究所は毎日モデルが来ている。
若い人から初老まで、痩せたの太いの、白いの黒いの、帝王切開の跡のくっきりした人と、何か人生を見ているようである。
絵のモデルは、服飾のモデルと違ってどんな体形でもよい。又男性も使う。
教室に入ると慣れた者と不慣れな者が良く分かる。
慣れた者は、モデルの前の位置取りが実に上手い。モデルの隅々まで手に取るように見える場所に三脚を立てる。
モデルの方はプロだから、絵が上手いか下手か向こう側からこちらを見る。下手な者は馬鹿にされているのを感じながら描かねばならない。
ストリップを見るのも同じで、向こう側から見ていることを考えると前へ行くには最初は少々勇気がいる。
モデルにも上手と下手がある。
モデル台の上に乗る時、それがよく分かる。
ポーズを変える時、実に慣れを感じる。又個人的に頼べばどんなポーズでもやってくれるものだ。
私は一度だけすごく若くて美しいモデルを見た事があった。
身体は上から下までピンク一色の肌で、日当たりと日陰が全くなかった。
私には経験が無く慣れていないので、よからぬ思いが頭をよぎり、目が引きつった。それが他人に感ずかれないかという羞恥心と、絵が下手で描けない自分をモデルの前に持って行けなかった。
いつも前の人の後頭部ばかり見ていた。