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青春時代 11

雨降りの広い干拓工事現場は、空と海との境が消えて重く雲が垂れ下がり淋しい。

私は雨合羽の上下を着て土方に行った。

干拓は、左右から海を土手で挟み、最後は門扉を作る。

その門扉作りは、左右から来た土手の7、8m外側に別の土手を作り、門扉が出来上がる。

その土手を作るため当時は歩み板を渡し、一輪車で生コンクリートを運ぶ。

一列に人夫が一輪車を持って並ぶ。

ミキサー車から出てくる生コンを一輪車に受けて歩み板を渡って行く。

その板の巾は、5、60cmぐらいで、海面まで3、4mぐらいのところに渡してある。

私の順番が来た。

私は歩み板には苦い経験がある。

 

一度今治港の青果問屋木万へ丁稚奉公に行ったことがあった。

そこで渡船と岸壁の間を歩み板が渡してあり、船から青果物を抱えて下ろす。

船は高く、岸壁は低い。

その板を登り降りはすると板が跳ね上がる。そうなると足と板との調子が狂い歩幅が短くなり、前のめりになって物を抱えたまま転がってしまう。

そうなった時は、物を放り出して逃げるのであるが、それが人情として物を放り出せないのである。

 

私の一輪車にも生コンがいっぱい入った。

歩み板を渡り始めた途端、悪い予感が頭をよぎった。途端に足が動かなくなり、腕が固くなり一輪車は歩み板から外れた。

私は一輪車を放り出さなかった。

生コンと一輪車と共に四国東予市の海中へ落ちていった。