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サラリーマン 2

会社も創立3年目に入り、私はバイトのつもりが、課長代理になった。

売り上げも順調に伸び、当時の年商3億円ぐらいになり、その3分の2が私の課の売り上げだった。

課長代理になり、出張旅費も一等旅費が出た。ホテル泊まりで飛行機を使うことが出来た。

東京、松山間はYS11機だった。

私の本俸は、2万9千円だった。

出張旅費の余りが大きく、交際費もほとんど制限がなかった。

又当時は、大手の会社の課長以上には、かなりの品物を贈与するのは当たり前であった。

世の中も豊かになり、人の心も変化してきた。

贈答用品も色々考えられ、その一つに絵画があった。

私は東京銀座から日本橋へ画廊を見て歩く。

銀座で贈答用の絵画を買った。

そして日本橋の日本橋画廊で「池田満寿夫」の第一回個展に出会った。

単色のドライポイント「小さな沼たち」を自分のために1万5千円で買ったのはこのときだった。

その時、多色刷りの「タエコの朝食」2万円を買っていたら今、相当するだろうに。

そして、此花画廊があった。

店に入って絵を見て思った。「私も描けるのでは。」

これが運命を変えてしまうことになる。

私は、私の絵を見てもらう約束をして帰った。

 

帰った私は、早速絵を描く。

絵の具は水彩で、和紙をもんでシワをつけ又もむ。和紙が粉っぽくなるまでもみ、その和紙を台紙に糊張りをして、木炭でアウトラインをひいて水彩絵の具をたらしこむ。

乾かないうちに又絵の具をたらしこむ。

絵の具と和紙が油彩画でも水彩画でもない表情を出す。

 

第1回安倍安人展が決まった。