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思い出すこと

インターナショナル・アカデミー・オブ・セラミック(IAC国際陶芸アカデミー)がある。本部はスイス・ジュネーブのアリアナ公園、元国連のあった場所にアリアナ美術館があり、そこを本部に世界60カ国以上が参加する組織である。この組織は、大学、美術館、陶芸関係者で出来上がっている。古代、近代の古い研究よりむしろ現代の研究、振興に重点を置いている。

 

日本国内のその小型版のようなものが日本陶磁協会であるが、頭に「日本」が付くからいかにも公共のように感じるが、そうではなく、好き者の集団で誰でも入会でき、投稿したり、支部大会でコレクターの物や美術館収蔵の作品を借り出して、古代から現代まで展示鑑賞できた。

私も会社勤めの頃その存在を知った。

そして陶磁協会愛媛支部に入会した。

その頃は、終戦後の急激な経済成長と共に日本文化復興が盛んで、物心共に発展していった。

そんな時は、良いことばかりではなかった。

発展を利用して悪も栄える。

私はその悪を目の当たりに毎日見せ付けられた世代であった。

 

その頃は学者の参加者は少なく、業者と好事家と作家が大半であった。

いわば、骨董屋と骨董好きの集団と思えば分かりやすい。

骨董の世界はニセモノがあるから骨董であって、いつの世でも面白いのであるが。

巧みな作り手と売り手が裏で大活躍をする。

道具を商う商人にしても、松江や加賀の大名を相手にして商った御用商人から、自転車で田舎の辻裏々をかけずり回る商人まで、混合一体化して美術商と言っていた。

もちろん裏社会の一員もいた。

 

私も協会員である以上何かと有名品を手にとって見ることができた。

中でも今も忘れることが出来ないのが、五島美術館の鼠志野茶碗「峰の椛」「冬木伯庵」「鳳凰耳青磁の花入」の三点を今治古狸庵の会場で寝ずの番をした事。

愛媛松山の道後公会堂会場で今、東京国立博物館に収蔵されている信楽茶碗「石臼」を会場の真ん中に敷かれた布団で抱いて寝た事。

岡山県立博物館で開催された楽代々展で、箱から出された長次郎を陳列の中に入れていて、手渡しして受け取り並べた事等の感動は、走馬灯のように今も覚えている。