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思い出すこと 2

25歳そこそこの若僧にあれだけの”美”に直接触れる機会は今日あるだろうか。

私は、”千姫”元所持であって、京極家、松平家と伝来した天下の三名品 ”雲山肩衝茶入”重文、仏鑑の”墨跡”そして、朝鮮から秀吉に和睦に来た遊撃将軍が帰国の途上、長崎で病気となり、その時世話になった医者に礼としておいて行った筆洗。後に幻の名碗となった”遊撃五器”。

この茶碗は、大正名器鑑にも写真が無く、手描き彩色で記載されている。

私が一服茶を喫した”遊撃”は、元は”爵”であったのでは?と思った。

釉立ちは大井戸様で、爵の両耳を取り去った跡があった。

私は遊撃は井戸だと思った。

以前九州のさる大名家伝来の大井戸茶碗を当代の奥さんが洗剤で洗ってしまい真っ裸になってしまい、毎日何服もお茶を飲む私に、その茶碗を使ってくれと頼まれ一年間使ったことがあった。

その姿は、”喜左衛門”と”有楽”の中間のようだったと記憶している。

釉立ちは同じようだった。

50年も前の事で、この話は定かではないが・・・。

 

この三名品を所持していたOOさんが、「君が好きの道を行くなら見ておけ。」と言って見せてもらった。

 

OOさんは、昭和天皇のご即位のパレードの時の騎馬隊の先頭で、天皇旗を捧げ持った近衛兵であった。

終戦後退役して田舎へ帰ってくるとき、ハーレーとインディアンの2台のバイクを持って帰ってきた。

私は、ハーレーよりも鉄パイプつくりのインディアンが好きだった。

白いマフラーを首に長く巻いて走る姿を子供心にかっこいいなぁと思った。