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高校時代 8

石坂洋二郎の名作 石中先生行状記
映画「青春無銭旅行」に大正ロマンを私は強く感じた。

詰め襟の学生服は高校で指定の木綿の黒で、スネは出るし、擦れた所は白くなる。
皆アイロンをかけたり、寝押しをしたりしていた。
頭髪は当時リーゼントが流行った。
私はなぜか、それは馴染めなかった。
ズボンと上着はわざと脱ぎっぱなしにして、その上に布団を敷いて寝押しをする。すると見事なシワがよる。歩くとシワが伸びたり縮んだり。
これを提灯服とよんでいた。
腰にはタオルをぶら下げて帽子は破ってはミシンで縫い、又破っては縫う。
ツバは二つ折りにして二本の白線はちぎれ所々ミシンで付いているだけ。あると言えばある、無いと言えば無い。
どこにでも腰を下ろして座る。その時帽子を尻に敷く。汗も拭く。
帽子には裏地があり、その裏地をはがして一重布にする。
帽子に付いた校章にはネジが付いていて、一重になった帽子布ではそのネジがわりと邪魔になる。
そこでネジを取り去って、糸で帽子に直接縫い付ける。
それが”バンカラ”でとてもおしゃれだと思っていた。

彼女からもたまに手紙が返ってくるようになったら、少々「これでは」と思い始めた。
頭髪を伸ばしてみたが、私の髪は硬くて直毛でチックや油ではなかなかリーゼントとはいかなかった。
私の母は大阪の青果問屋の娘で、和風に髪を結っていた。
髪にカールをつけるための道具の中に、鴨のクチバシのようなコテがあった。
火鉢には、多かれ少なかれ年中炭火が入っていた。
そのコテがとんでもなく威力を発揮した。コテを火鉢に突っ込んで焼きコテにする。最初は上手く行かず髪が焼き切れた。手加減も慣れてくるとそれは見事なリーゼントになった。
顔はくっきりとプレスリーなった気分でいた。
帽子をかぶるには勿体なかった。
学校へ行く自転車のスピードは軽快であった。
昼食頃から雨になった。
すると髪は直線的に戻り、河童の丘上がりのようになって所々カールが残って ”落合恵子”のモノマネの様になった。