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高校時代 9

私と惟弘に、普通科で剣道部の正三が加わった。
農業科1に普通科2の3人組みは、いつも3人の誰かの家で寄食していた。
それぞれに片思いの女学生がいた。
その女性を名前で呼ぶのにはあまりにもきまりが悪く、恥ずかしく、もったいなくてそれぞれに愛称を付けていた。
私の彼女のつもりの人は
「ピョン」 と付けていた。
歩く時はまるで弾むように、体育でも何をしても活発で底抜けに明るくて、
いつも弾んでいる様から名づけた。
ピョンは歩いていても、自転車に乗っていても、背中をピンと伸ばしてとても姿勢がよかった。
何百メートル離れていても集団の中から見つけることが出来た。
私の教室は校門のすぐ左にあった。
毎朝ピョンが校門から私の教室の前を通過するのは時間ギリギリ。
何十人がなだれ込んでも判明できた。
今日一日は幸せであった。

学校のある町は、古く小さな町で江戸時代からの宿場町であった。
戦後のことで食堂らしきものは一軒のみであった。
その店はうどんと太鼓饅が主流だった。
その頃は太鼓饅頭と言って、現在の大判焼きの半分の大きさであり、後に倍判になったので「大判焼き」と改めた。

3人は暇と金の続く限りこの店に入りびたりだった。
ある時、惟弘のおふくろさんから学校へ電話があった。
電話に出てみると惟弘が交通事故をおこし寝たきりになったとの事であった。
つづく・・・