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高校時代 11

我母校は周布桑養蚕学校と周布桑女学校が合併して出来た新制高校である。
農業専門学校ではなくて、私のクラスは普通科に農業科目が余分にあるような教室であった。教科によっては、普通科と同じ授業体になる。
普通科は、女性のみのA組から始まり、就職コースの男女混成のB組、就職、進学の男女混成のC組、進学コースのD組。そして、我が農業科のE組と編制されていた。
体育等はC組と同時授業で、なぜか ”血わき肉踊った”
サッカーはC組は逃げ回り、ボールはどこにあろうと関係なかった。
相手の尻を蹴る事に専念した。
C組は体育の時間がさぞイヤだったろう。

私のクラスには、変わり者と言うか、異質と言うか、一流企業の社長の息子や有力者の息子が何人かいた。
彼らはどこかの一流校の受験に失敗し、行く学校が無くこのクラスに入ってきたのではないか?と今でも私は思っている。
それは、その後の我がクラスの進学率が普通科の進学クラスよりも高かった。

私が東京のあるキャラリーで個展をやっていた時、
「おーい、俺だ、俺だ。」
と言って入って来たクラスメートがいた。
彼の名刺を見てビックリした!我が国のトップクラスの会社のトップクラスに居るではないか。我が目を疑った。
彼は私の前の席で目立つ事もなく実に静かに勉強をしていた。
あの時のこの人が、あの大学へ進学して今ここにいる。
これが私のクラスの面白いところだったと思っている。

同時発生的に、ある年のあるクラスのみに個性的な人が複数出る様である