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高校時代 13

当時私の科では英語は選択制であった。
私は高校2年生から多少下心があって英語を選択した。
中学で選択しないで高校の2年からではとても皆について行けなかった。
テストの時は名前は必ずアルファベットで書いた。それに対して担任は3点プラスしてくれた。この3点は、私にとって生涯が開かれるのである。

高校生活も2年生になり、私は部活の水泳も県外へ遠征をすることは一度も無かった。プール掃除で終わった。
美術部も大原美術館見学旅行後行かなくなった。
進学組の彼らは石膏デッサンやクロッキーをやはり居残ってやっていた。
私はどちらも一点も書くことはなかった。
惟弘は家業を、正三はバス会社へとコースが決定して私から離れていった。
私は密かに自宅で父母に隠れる様に絵を描いていた。
油彩を描いた。

私が小学校の時の図工科だった植木先生を自宅へ訪ねて行ったがいなかった。
植木先生は結婚して町営住宅へ引っ越していた。
町営住宅は横に長い赤い屋根とクリーム色の壁であった。
「こんにちは」
と入って少々私は驚いた!
2部屋のうち1部屋は、真新しい大型病人用ベットと新婚らしい調度品でいっぱいであった。
もう1部屋は絵の道具でいっぱいで、先生は洋服の裏地を木枠に張り、豆腐をすりつぶし、その裏地に豆腐をファンデーション代わりに使っていた。
新婚らしい家具と貧しい画材が、高校生の私にはイヤというほど人生を感じさせられた。