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高校時代 15

二科会愛媛支部の新聞のインタビューで私は、
「働きながら絵を描き続けたい」 と言った。
数週間過ぎた頃、となり町の新居浜市の孔版印刷所の社長が学校へ私をスカウトするために訪ねて来た。
面接した社長は弱々しく優しそうで生真面目な人だった。
後日私は会社訪問をした。
古い民家の横階段を上った左側に和室があった。和室には、お姉さんが腕抜きをしてガリ版の鉄筆で版作りをやっていた。
社長の話では、時々自費出版等があり、挿絵が必要なときがあるので描いて欲しいと言った。
挿絵の無いときはガリ版の版作りをやってくれれば良い。との話であった。

当時は学校でも村役場でもガリ版印刷であった。
ガリ版印刷とは、ヤスリの敷板があり、その上に罫線の入った蝋紙をおいて鉄筆で文字なり、絵なりを書いていく。ヤスリで点状に紙に穴が開く。
この穴のことを”コウ”という。
蝋紙の上にインクをローラーでのせて、ローラーを前後すれば印刷が出来る。
多色刷りも出来る。
今ならさしずめシルクスクリーンの小型のものと考えればよい。

私は返答もしないで帰って来た。
先生には 「お前就職口があってよかったのう。」 と我が校のホープと称えてくれた。
その後何度となく社長は学校の校門に立っていた。
正直言って私は挿絵など描く自信がなかった。
私は裏門から下校して行った。

11月9日から11日まで韓国・大邱アートフェアーに行ってきました。