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高校時代 18

私は彼女と進学を天秤にかけることは出来なかった。

彼女とのデートも少しずつ進み、手もつながないデートではあるが数だけは増えた。

 

経ってみれば高校生活も短かった。夢の覚めるように薄れて先へ先へと進んだ。

彼女と離れて行くのは私には耐えられなかった。

でも絵を描きたいという思いは変わらなかった。 MORE »

高校時代 17

彼女とは時々デートをする様になった。

デートと言っても手も触ったことがなかった。

自転車を並べて少し遠くへ行くぐらいであった。

私は彼女の名前はなぜか呼べなかった。心の中で叫んでいても声には出せなかった。

笑い顔美しかった。それで満足だった。

 

私の家と彼女の家は15Kぐらい離れていた。 MORE »

高校時代 16

二科愛媛支部展の後は絵を描くこともなかった。

自分は自分なりに悩んだ。

親に言っても進学は不可能だし、さりとて就職口は親の希望とはあまりにもかけ離れていた。

父は”間建設”へ入れたかった。なぜなら縁者に重役の最右翼がいた。

母は自分の一番尊敬していた大阪中央市場で青果問屋をやっていた兄が亡くなったため、どこか丁稚奉公に行かせ青果をやらせたかった。

私は密かに美大や専門学校の資料を取り寄せていた。 MORE »

高校時代 15

二科会愛媛支部の新聞のインタビューで私は、
「働きながら絵を描き続けたい」 と言った。
数週間過ぎた頃、となり町の新居浜市の孔版印刷所の社長が学校へ私をスカウトするために訪ねて来た。
面接した社長は弱々しく優しそうで生真面目な人だった。
後日私は会社訪問をした。
古い民家の横階段を上った左側に和室があった。和室には、お姉さんが腕抜きをしてガリ版の鉄筆で版作りをやっていた。
社長の話では、時々自費出版等があり、挿絵が必要なときがあるので描いて欲しいと言った。
挿絵の無いときはガリ版の版作りをやってくれれば良い。との話であった。 MORE »