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高校時代 19

東京デザイナー学院を受験した。試験は作文のみだったと思う。

両親は、画家はダメだがデザイナーだったら許すと言った。

合格していざ東京へ来たもののデザイナー学院にはどうしても行く気にはなれなかった。

あの時なぜ嘘を言えなかったのだろうか。

親父は「もう応援しない。」と言ってきた。

私は仕方がなく有名画家 林武 を訪ねることにした。林武は芸術新潮や美術手帳等で中野のアトリエを写真で見ていたので、中野駅から歩いてすぐのところですぐに判った。 MORE »

高校時代 18

私は彼女と進学を天秤にかけることは出来なかった。

彼女とのデートも少しずつ進み、手もつながないデートではあるが数だけは増えた。

 

経ってみれば高校生活も短かった。夢の覚めるように薄れて先へ先へと進んだ。

彼女と離れて行くのは私には耐えられなかった。

でも絵を描きたいという思いは変わらなかった。 MORE »

高校時代 17

彼女とは時々デートをする様になった。

デートと言っても手も触ったことがなかった。

自転車を並べて少し遠くへ行くぐらいであった。

私は彼女の名前はなぜか呼べなかった。心の中で叫んでいても声には出せなかった。

笑い顔美しかった。それで満足だった。

 

私の家と彼女の家は15Kぐらい離れていた。 MORE »

高校時代 16

二科愛媛支部展の後は絵を描くこともなかった。

自分は自分なりに悩んだ。

親に言っても進学は不可能だし、さりとて就職口は親の希望とはあまりにもかけ離れていた。

父は”間建設”へ入れたかった。なぜなら縁者に重役の最右翼がいた。

母は自分の一番尊敬していた大阪中央市場で青果問屋をやっていた兄が亡くなったため、どこか丁稚奉公に行かせ青果をやらせたかった。

私は密かに美大や専門学校の資料を取り寄せていた。 MORE »