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コンテンポラリー・イスタンブール1

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ここ数年、国際アート・フェアーに参加する事が多くなった。

昨年は、アメリカのアート・サンタフェと韓国のアート・テグに出品した。アート・サンタフェでは、ウェブサイトのコマーシャルのトップに私の作品が使われた。

お陰様で話題になった。私としてはI・A・C(国際陶磁学会)の大会がサンタフェでほぼ同時期に開催されて都合がよかった。

I・A・Cの広報にも私の作品が使ってもらえた。その作品はその後ニューメキシコ州立美術館へ収蔵された。

今年はコンテンポラリー・イスタンブール2013に陶器と絵画を出品した。

21ヶ国、92ギャラリー、650作家と大規模なものだった。

オーストラリアは石油会社のバックアップで、中でも目を見張るものがあった。作品展示はインスタレーション的で、自国のアーティストの資料を多く見せることを重点的にやっていた。

他に、車のアウディーや家電メーカー等が協力していた。

前夜祭があり、オープニングパーティーと盛りだくさんで始まった。

写真は会場風景とイスタンブールで語学留学中の岡山県長船出身の女性がわざわざ訪ねて来てくれた時のものです。

コンテンポラリー・イスタンブール

 イスタン2

 http://www.contemporaryistanbul.com

”コンテンポラリー・イスタンブール”に出展します。

アート・イスタンブールでは、やきものに加え、油彩の新作を発表します。

思い出すこと 3

よなく愛したラーメンがある。
昼食、夕食、残業食と1日3回このラーメンを食べる時もあった。
40数年経った現在も食べに行っている。
岡山県牛窓に住みついてからも行く。
ガソリン代、高速代合わせて、このラーメンは一杯2万円はかかる。それでも月に数度は行きたくなる。
そのラーメン屋の初代主人は九州は久留米の呉服商だったが、ラーメンに人生を懸け、久留米を出て愛媛県今治市に店を開いた。
久留米のラーメンは豚骨の小骨まで混ざっているぐらい濃厚でとろとろが特徴である。それに彼のラーメン哲学が我慢が出来なかったのだ。
この店の私が愛して止まないラーメンは豚骨塩ラーメンである

思い出すこと 2

25歳そこそこの若僧にあれだけの”美”に直接触れる機会は今日あるだろうか。

私は、”千姫”元所持であって、京極家、松平家と伝来した天下の三名品 ”雲山肩衝茶入”重文、仏鑑の”墨跡”そして、朝鮮から秀吉に和睦に来た遊撃将軍が帰国の途上、長崎で病気となり、その時世話になった医者に礼としておいて行った筆洗。後に幻の名碗となった”遊撃五器”。

この茶碗は、大正名器鑑にも写真が無く、手描き彩色で記載されている。

私が一服茶を喫した”遊撃”は、元は”爵”であったのでは?と思った。

釉立ちは大井戸様で、爵の両耳を取り去った跡があった。

私は遊撃は井戸だと思った。

以前九州のさる大名家伝来の大井戸茶碗を当代の奥さんが洗剤で洗ってしまい真っ裸になってしまい、毎日何服もお茶を飲む私に、その茶碗を使ってくれと頼まれ一年間使ったことがあった。

その姿は、”喜左衛門”と”有楽”の中間のようだったと記憶している。

釉立ちは同じようだった。

50年も前の事で、この話は定かではないが・・・。

 

この三名品を所持していたOOさんが、「君が好きの道を行くなら見ておけ。」と言って見せてもらった。

 

OOさんは、昭和天皇のご即位のパレードの時の騎馬隊の先頭で、天皇旗を捧げ持った近衛兵であった。

終戦後退役して田舎へ帰ってくるとき、ハーレーとインディアンの2台のバイクを持って帰ってきた。

私は、ハーレーよりも鉄パイプつくりのインディアンが好きだった。

白いマフラーを首に長く巻いて走る姿を子供心にかっこいいなぁと思った。