青春時代 6
背に腹は変えられず、職安へ来た。
先日の担当がいない場所へ並んだ。
今度は、藤巻塗装という工場へいった。各種メーターの文字盤専門の塗装をやってた。
私の仕事は真鍮の円盤に下地をつけてあるものを、水ペーパーに黒いゴムの当てに巻いて研ぐ。立って、膝の高さぐらいに厚い板が長く設置してあり、その50cmぐらい上に水道の配管が板に沿って通っている。
そのパイプから四六時中水が細く一筋落ちている。その下でほとんど研ぎ落として又下地付けに回す。
この作業は、一日中昼の食事以外はつづく。
私は昼食は金が無くて食べなかった。
従兄弟が、志村前野町に下宿を探してきた。
朝夕食事付きで確か七千円だったと思う。
下宿は斎藤さんと言って、広島出身で娘と三人家族で一階に住んでいた。
まだ美術研究所へ行く暇も金も無かった。
休まず1ヵ月働いて九千円には届かなかった。下宿代と電車賃を取ったら、ほとんどが残らなかった。
お袋が米と大豆を炒って砂糖をまぶしたものを一斗缶に一杯詰めて送ってくれた。
親父に隠れて送ってくれた。
お袋の精一杯の気持ちだったのだろう。
青春時代 5
モモヒキは後前反対に穿くと違和感で分かる。
今日びは、靴下を履いたみたいに何も感じない。
立小便の時に始めて分かる。
今日一日は小便の度に腹が冷えた。
東京での話しに戻るが、
池袋の職業安定所へ行った。
鉄の窓枠を製作している工場のトラック運転手の仕事があった。
面接に行った。
早速明日の朝から勤めてくれとの返事。
初出勤の朝は、小雨が降っていた。
国鉄の忘れ物即売会で20円で買った傘をさし、病院のトイレから履いて帰った自動車のタイヤを付けたツッカケ下駄を履いて、古着屋で100円で買ったレインコートを着て出勤した。
事務所で挨拶をしたら、その足元ではと古いゴム長を出してくれた。
担当が書類を持って工場まで案内してくれ、書類を渡された。
見ると、銀座の何とかビルの工事現場の住所のみが書いてあった。
私は助手がいるものと勝手に思い込んでいた。
まさか私一人で運転して行くとは夢にも考えていなかった。
私は工場を出て右へ行くのか、左へ行くのか、自分の今いる場所すら東京のどの辺りか分からなかった。
トラックの荷台には鉄の窓枠が山と積んであった。
私は慌てた。
兎に角、逃げることに決めた。
現場事務所を隠れて見ていたら人が居なくなった。
その隙にゴム長をツッカケ下駄に履き替えて人に見つからないように、頭を低く、背を丸め、下駄音を気にして通りまで逃げて来た。
雨は止んでいた。
後を振り返り、人目を気にしながら町の角を曲がった。
「あっ、傘を忘れて来た!」
しばらく考えようと思ったが、工場からトラックが出て行かなかったら気付かれてしまうのでは?と急いで傘を取りに工場へ引き返した。
まだ現場事務所に人は居なかった。
青春時代 4
中学時代、柔道と演劇をやっていた朝鮮人の英雄が、その頃新宿のBarで働いていた。
彼を訪ねて行き、「私も働きたい」 と言ったが、彼に怒鳴りつけるように
「お前の来る所じゃない!」
と言われ追い返された。
彼はその後北朝鮮へ帰って行った。
池袋から一つ目が豊島園、二つ目が椎名町。
椎名町のトキワ荘に美術部の後輩の篠宮が一階に住んでいた。
篠宮君は父が確か公務員で、我が村の旧家の息子だった。
私は彼を訪ねてトキワ荘へ行った。
「何か働き口はないか?」
と言ったが、彼は実に冷静に帰ってくれと言った。
今になってテレビで見て驚いた。あの時二階では、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎 等がマンガの制作活動をしていたのだ。
私は世間知らずの田舎者だった事に自分でもあきれる。今もあまり変わらないが・・・。
あのトキワ荘も今は記念碑のみらしい。
居候先の従兄弟夫婦の仲が少しずつおかしくなってきた。それが私のせいだった事は今になって良く判る。
私は居候がやりずらく、従兄弟は帰って来なくなった。
その後、郷里の仙台へ帰った従兄弟と亭主。
今年私が地震見舞いに行っていたとき、急逝した。
皮肉にもあの時の迷惑の侘びを言いたくて電話をして話しかけた時だった。
青春時代 3
その後、様々な運転手をやってみた。
なかなか金は出来なかった。
成人式の日も運転手を休ませてもらうことは許されなかった。
成人式の日、私は決心した。
「明日、東京へ行こう」と。
大和証券で一口千円の投資信託をこつこつやり、8万円が貯まっていた。
それを換金した8万円も5万円は親父が預かると言って取り上げた。
私は3万円を持って東京へ出て行ったのである。
従兄弟が結婚して板橋に住んでいた。まだ新婚で、二人とも働いていた。
私は居候を始めた。
現代美術研究所は田町にある。
田町の駅を出て浜松町に向かって3分ほど山手線沿いに行ったところにあった。
福沢一郎、三岸節子、鳥海青児そして私の入った宮本三郎教室があった。
私の本心は鳥海青児が好きであった。
鳥海教室に入ると真似てしまいそうな気がして、あえて宮本教室を選んだ。
研究室は入ったらすぐそこが受付で、事務所の脇から教室がのぞけた。
そこには裸婦が全裸で立っている。もっとも裸だから裸婦と言うのだが。
私は見ないふりをして見ていた。何か悪いことをしたような、しているような心臓の高鳴りを覚えた。
私の手には、旅費と月謝を払った残り数百円が残った。
明日から何が始まろうとしているか。
裸婦を見る事も、食って行くことも全く自信がなかった。