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高校時代 13

当時私の科では英語は選択制であった。
私は高校2年生から多少下心があって英語を選択した。
中学で選択しないで高校の2年からではとても皆について行けなかった。
テストの時は名前は必ずアルファベットで書いた。それに対して担任は3点プラスしてくれた。この3点は、私にとって生涯が開かれるのである。 MORE »

高校時代 12

朝鮮動乱の戦需景気で豊かさが見え始めた。

惟弘は家業を手伝う為にホンダのバイク”ドリーム号”を買ってもらい、学校へ載って来た。運動場で乗って見せた。
「これがクラッチで、これがブレーキ」
と教えてもらった。
クラッチ、アクセルの関係を覚えないうちに待ちきれず、私は借りて乗ってみた。
クラッチとアクセルの調節がうまくいかずエンストをして走らない。
ところがいきなりドリーム号は走り出した。グランドを1周、2周としているととても痛快に思った。
が、車を止める方法は聞いていなかった。大声で聞いてみたが、惟弘の前をあっと言う間に通り過ぎ、痛快から不安に一変した。 MORE »

高校時代 11

我母校は周布桑養蚕学校と周布桑女学校が合併して出来た新制高校である。
農業専門学校ではなくて、私のクラスは普通科に農業科目が余分にあるような教室であった。教科によっては、普通科と同じ授業体になる。
普通科は、女性のみのA組から始まり、就職コースの男女混成のB組、就職、進学の男女混成のC組、進学コースのD組。そして、我が農業科のE組と編制されていた。
体育等はC組と同時授業で、なぜか ”血わき肉踊った”
サッカーはC組は逃げ回り、ボールはどこにあろうと関係なかった。
相手の尻を蹴る事に専念した。
C組は体育の時間がさぞイヤだったろう。 MORE »

高校時代 10

惟弘のおふくろの話だと、
「寝たきりでも腹が減って太鼓饅頭を腹いっぱい食いたい」
との話であった。
正三と私は、ありったけの金を集め太鼓饅頭を50個ぐらい買って惟弘の家に向かった。
惟弘は天井から片足をロープでつられ、その足は白い布でグルグル巻きにされていた。
それにしても饅頭の食いっぷりはすごかった。
見ているこちらも腹がぐうぐうなった。
惟弘は腹いっぱい食ったところでトイレに行くと立ち上がった。
親子して私達をからかっていた事に気がつくまでしばらくかかった。

食堂で饅頭の食べ比べを3人でやったことがあった。
負けた方が支払う約束だった。
正三は早いうちにギブアップをした。
私は饅頭20個と素うどん2杯食って「勝った!」と思った。
惟弘はその上に肉うどん1杯食った。
正三と私は金を払わされた。
そんな金はノート代とか、教科書代とか自転車の修理代とかで親からせしめた。

私のクラスに質屋の息子がいた。
その質屋へサッカー部の勇が、盗んだ(盗品)靴を質入れしたとの警察の調べが始まった。
勇は悪仲間ではあったが、そんな事をするような人間ではなかった。
彼は授業が終わると毎日警察へ取調べに行く。行っても何もしゃべらないから2,3日続いたと思う。
彼は我々仲間には警察であった事を一部始終話した。
とにかく彼を仲間で応援し頑張らせた。
結果的にはやはり無罪となった。
彼には1日いくらかの日当が出た。
仲間でうどんと饅頭を食った